人生における欲望と愛情について
人間には基本的欲望が備わっています。
食欲とか睡眠欲とかは一般的に聞いたりしますね。
これら人間本来の生存にかかわる基本的欲望については生存欲といえます。
他、子孫繁栄を目指す基本的欲望もあります。家庭欲といえます。
そして社会を喜ばせ、社会の賛辞を求める基本的欲望もあります。
これは社会欲といえます。
人生の第一歩は生存欲を満たすことから始まります。
赤ちゃんの時から母乳を求めて泣きますね。
生存を維持するために必死で泣いて訴えます。
その欲望は自己中心的であるといえます。
誰から教えられることなくおっぱいを求めて吸い付くことができます。
どんなに母親が赤ちゃんに母乳を飲ませようと思っても赤ちゃん自身にそれを飲もうとする意思がなければどうすることもできません。
ということは赤ちゃん自身には生来的に生存を維持する基本的要件が備わっていることがわかります。これを欲望と表現することができます。
ですが、母親が赤ちゃんに母乳をあげようとするとき、それを母親の欲望というのは少し無理がありますね。
母親の欲望ではなく、母親の愛情といえます。
欲望は利己的に作用しますが、愛情は利他的に作用します。
母親が赤ちゃんの欲望を満たそうとするときそれは愛情です。
また、相手の欲望と一致したときに愛情は成立します。
ということは相手の欲望がなければ愛情は成立しないのですから、欲望と愛情というのは反対に見えて同じ価値を持っているんですね。
生まれたときからある一定期間までは自分の欲望を満たそうと欲望主体人生を通過しますが、徐々に成長するにつれて相手のために何かしたい、自分よりも相手を喜ばせたいという愛情主体に切り替わっていきます。
これが成長といえるでしょう。
人生において欲望主体で生きるのか、愛情主体で生きるのかというのはものすごく大事であると感じております。
自己の欲望を満たそうと欲望主体で生きていくと、その結果戦争や略奪、虐殺といった世界につながります。
身近で言うといじめや暴力、そういったことが起きるのは、結局他者の迷惑を顧みずに、自己の欲望を満たそうとする我欲主義によって起きる問題です。
生存を維持するのに備わっている基本的欲望は否定するべきではありませんが
この我欲主義は徹底的に否定しなければなりません。
では次は我欲主義に触れて書きたいと思います。