人は生まれたときから死を目指している。
生まれたときにすでに死ぬことは決まっています。
長く生きて余命約100年の宣告を受けているみたいなものです。
人生の始まりは死を目指して出発しているといっても過言ではありません。
そう思うと人生は死ぬために生まれてきたと思えます。
じゃあなんで生まれるんですか?
お母さんのお腹の中にいるとき、心臓が動いて目ができて足ができてと胎児は成長していきます。
お腹の中にいたら目も必要ないし、手足も必要ありません。
じゃあなんで体が作られていくんですか?
それは生まれてから必要になるからです。
お腹の中にいる胎児は十月十日の間、誕生を目指して成長します。
つまり胎内生活のゴールは誕生の瞬間といえます。
誕生の瞬間は母体からみればそれは死です。
母の胎内に宿ったときから生まれることを目指して成長していくのと、
この世に生まれたときから死を目指して人生を歩むのは同じです。
となれば、そもそも私たち地上を生きる側から見ての「死」は
死んだ側から見るとそれは「誕生」といえるのではないでしょうか。
誕生するとして、もちろん肉体は置いていくでしょう。
地上にいる人たちから見たら死んでもう消えてなくなったかのように動きませんよね。
死んだら目に見えるもの全部持っていけません。
じゃあ何がその後の世界に持っていけるのか。
それは魂でしょう。心です。
ということは、
母体において胎児がその後の地上人生に必要な器官や手足がつくられ成長するように、地上人生においてはその後の死後の世界で必要な魂を成長させないとどうなるでしょうか。
では魂の成長とは・・・?